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A研学生日記
ナベです! メール
作者 渡邊 諒   
2015/02/13 Friday 15:22:53 JST

 

みなさん、こんにちは!毎日寒いですね!!

赤木研究室B4の渡邊 諒(わたなべ りょう)と申します。先輩方には「ナベ」と呼ばれています。

研究テーマは「気泡掘削工法におけるセメントスラリーを添加した気泡安定液の性状」です。赤木先生や前田建設の安井氏をはじめ、M2の内山さん、M1の堅尾さんの熱いご指導のもと、とても楽しく、そして仲良く日々実験に取り組んでおります。現在は絶賛卒論執筆中です(笑)

 

簡単に自己紹介をさせていただきます!

出身は福島県福島市で、出身校は県立福島高校です。

よく、何もない田舎だの、寒くて雪が凄そうだの色々言われますが、決してそんなことはありません。

まず福島市は人口が28万人もいますし、東京から東北新幹線でわずか1.5時間とアクセスも良好です。それに駅前には「イトーヨーカドー」、「ラウンド1」といった商業施設、娯楽施設もあります。また、確かに冬は東京に比べれば幾分寒いかもしれませんが、市街地では雪はそれほど多くは降りません。皆さん機会があればぜひ来らっせ!!

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春になると全国から多くの観光客が訪れる名所「花見山」

 

趣味は旅行とランニングです!

まず旅行ですが、長期の休みに、青春18切符を利用して一人で行ったことがない場所を回っています。昨夏は伊勢神宮など紀伊半島を回ってきました。おかげで行ったことない都道府県は現在10のみです。近いうちに全都道府県を制覇したいです!

ランニングは研究室に入ってから本格的に始めました。たまに研究室の仲間と大会に出たりもしています。めざせ!東京五輪出場!!社会人になってからも空いた時間があれば走り続けたいと思っています。

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 毎度お世話になる青春18切符     大会@皇居でワンツーFinish!!               

   

 さて、ここからは地元が福島ということもありまして、東日本大震災で私が見たこと、感じたことを少し書きたいと思います。

 早いものでもう4年も経ちますが、2011年3月11日午後2時46分、東北地方の太平洋沖で巨大地震が発生しました。知っての通り東日本大震災です。当時私は受験も運よくクリアし卒業式も済ませていたので、春休みを満喫して友人宅でゲームをして遊んでいました。「あ、揺れてる!」最初はいつもの地震と一緒でした。しかしその揺れはいつまで経っても収まろうとしません。それどころか、どんどんどんどん強く激しく暴力的になっていきます。恐怖に耐えきれなくなった私達は思わず靴下のまま外に飛び出しました。3分くらい経って(体感)、ようやく揺れが収まりました。しかし家の中はひっちゃかめっちゃかで、周りには塀が倒れている家もありました。私は自分の家が心配になり、急いで自転車で家路を急ぎました。

   その帰り道の光景は今でも鮮明に覚えています。あっちこっちで塀や電柱が倒れ、マンホールが液状化によって浮き出していました。屋根から崩れている家もありました。踏切はいつまで経っても閉まったままで電車は来ないので、思わずくぐって通りました。

自宅は築40年以上の古い家ですが、幸い倒壊などしておらず無事でした。しかしやはり家の中はめちゃめちゃで、そのうえ度々余震が来るため怖くて家の中には居られず、外をうろうろしていました。そんな中今度は雪が降ってきました。私は一体どこにいたらいいのか、そして電気もつかず電話も繋がらない中どうすればよいのかを考えながら、ひとり途方に暮れていました。

 水道だけはしばらくは出ていたのですが、それもやがて出なくなりました。そして夕方になって母が、深夜には父が仕事から帰ってきました。その日は石油ストーブやロウソクで暖や明かりをとり、ラジオで情報を得ながら家族全員で夜を明かしました。その時になって初めて沿岸部が津波によって壊滅的な被害を受けていることを知りました。しかしまだその時は、ここまで被害が拡大していること、そして原発事故につながることなどとても想像できていません。

 

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翌日の夕方には電気が復旧し、間もなくガスも復旧しましたが、水道だけはいつになっても復旧しませんでした。私たちは近所の井戸や地下水が出る家を回ったり、川の水を汲んできて浴槽に溜めたりしました(結局においがきつくてとても入れなかったが、当時はそれほど追い込まれていた)。やっと水道が出たのは地震発生から2週間も後のことでした。

 モノ不足も深刻でした。原発の風評被害でガソリンや食糧、日用品などの物資が福島県内に全く入ってこないのです。トラックが県境まで来たのに放射能が怖いから結局引き返した話を聞いたときは、正直憤りを感じました。ただ、沿岸部の人たちはもっとつらい思いをしているのを考えると、とても私たちが文句など言っていられませんでした。

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  沿岸部の津波の被害は甚大なものとなりました。私も何度か浜通りの被災地域に行きましたが、目の前に広がる光景に言葉を失うばかりでした。一言でいえば「無」です。そこにあったはずの家、道路、暮らしの何もかもが消えてしまっていて、代わりにあちこちにがれきの山ができているのです。自然の猛威をまざまざと見せつけられました。

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 福島は津波による被害だけではなく原発事故によっても大きな被害を受けました。津波を被ったことで全電源を喪失し、炉心溶融、建屋爆発などの重大事故が重なり、結果大量の放射性物質が拡散されました。この事故によって、福島県内の農業、漁業、畜産業などの産業は、出荷制限や風評によって壊滅的な打撃を受けました。また、たくさんの人が住まいを追われ、故郷に帰れる見通しも立てられずに、現在も仮設住宅等で暮らしている家族もかなりいます。第一原発から約90kmも離れている私の実家でも、先日、庭の除染作業が行われました。  

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   私がこの地震で最も感じたことは、人の助け合いの心です。震災当時、私の家にはほとんど水も食糧もありませんでしたが、近所の人々が快く分けて下さいました。さらに、ずっとお風呂に入れなかった時期に、わざわざ車で温泉まで連れて行ってくれたりもしました。今でも本当に感謝しています。そして日頃からの周りの人々との繋がりの大切さを改めて実感しました。

  エネルギー問題や原発再稼働問題など、山積している問題はたくさんあります。そしてこれらの問題は、すぐに結論を出すのは非常に難しいものです。ただ、私が今一番言いたいのは、一人でも多くの人にこの大震災のことを忘れないでいてほしいということです。震災前までは、正直身の回りでこんな大きな災害が起こるとは思ってもみませんでした。しかし、「明日は我が身」という言葉がありますが、これは誰もが今後経験する可能性のあることだと思います。ですから、決して東日本大震災の教訓を無駄にしたくはないのです!

   以上が東日本大震災を経験した私の思いです。震災発生とともに私の大学生活は幕を開け、それから丁度4年が経ち、私は間もなく卒業を迎え社会人となります。じつにあっという間の4年間でした。この4年間お世話になったすべての人に感謝します。

特にこの1年間の研究室生活は、メンバーにも恵まれ、とても楽しいものでした。この研究室に配属されて良かったと心から思っています。赤木先生はもちろん、秘書の有浦さん、管理室の中筋さん、いつも元気なM2の皆さん、いつも仲良しM1の皆さん、そして美男美女揃いのB4の仲間達に感謝いたします!!本当にお世話になりました!!

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